わたくしサルバトーレは幼少の頃から18歳まで剣道、書道をやっていました。
実は超ウルトラど田舎で生まれたばっかりに、本来自分自身が望んでいた バレエ&ピアノができなかった。 なぜなら教えれる人間が存在しなかったからだ。 習おうとしたら車で片道1時間かかってしまう。 それでもわたくしの両親が芸術に理解があれば車に乗っけて片道1時間 通わせていただろう。 でも悲しいかな我両親は森進一、森昌子のファン。 ようするに演歌しか聴かないのだ。 そんな人たちにバッハ、ショパン、リストなんて一瞬足りとも頭に浮かぶわけがない。 だからといってウチの親が立派な人間ではないとは言っていない。 お袋に関していえば人前でパフォーマンスは好きなようだ。 酒を飲んで楽しくマイクを持って浮かれている姿なんて。 他にも民謡、日本舞踊など・・・。 わたくしとは方向性の違いがあるが、パフォーマンス好きの部分は遺伝を否定できない。 芸術に関して言えば残念ながら幼少から始めないとダメ。 本当に悲しい現実だ。 わたくしの性格上、やるからには一番を目指したい。 カルチャーでやるわけにはいかんのですよ。 で、どういうわけか剣道と書道になってしまった。 ちなみに、剣道3段、書道師範でございます。 我留慕の字はわたくしの直筆でございますです。 (お客様はまた始まったと笑いましたね) あんなド田舎に暮らさなければいけない以上、何かに夢中に ならなければやり切れないくて・・・シミジミ。 思えば高校卒業して田舎から出る日、二度と帰らないだろうと思って今日ですから。 そして今なお望郷の想いなんてなーんにもありませんわ。 「君は感謝の気持ちがなさすぎる。君を育てたのは故郷です」 と言われますが、それはそうでしょう。 確かにピアニスト、バレエダンサーにはなっていませんが、 今こうして鼻にタバコを入れてニッコリできるほどの素敵な人間になれたのも、 ド田舎があってこそですから感謝しています。 ただ今なお、望郷の思いが湧いて来ないっていうだけ。 これだけ書きましたが、皆さんの心の中は、 「なーんだ、サルバトーレのルーツは母親だったんだ」 ては思わないでくださいな。泣きますよ。 今度はその剣道と書道について書こうかな。 スポンサーサイト
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最近、“パリ症候群”なる記事をみた。
言ってしまえば、パリに憧れて住んでみたら全然予想と違って 気が変になりました。 ということらしい。 そりゃーそうだよなー。文化が違ってるんだし。 そんな社会に入って黙って待って指をくわえていたってさー。 オイラだって日本人はなぜ自分の意見を言わないのか、言えない のか不思議でしょうがないし、なーんにもわかんなーい、って感じ。 ましてや個人主義のフランスで自分の意思を言わずして社会に入れ るわけがないと思うし。 日本いいよね。何でもやってくれるから。 その感覚が無意識の中にあって、してもらう事に慣れているから、 「パリなんか違う・・・・。何にもしてくれなーい」 となってしまうのかな。 まずは認めてもらえる何か武器を作らないと。 実際パリにいる日本人の中にだってバリバリ認められている人だ っている。 彼らの話を聞いていると1つの共通点が。 日本人だというハンディを感じた事はないという。 まあ、TVでやっている旅番組、ウルルン・・・とか、芸能人やら が行って生活してます、なんてやっていて、これなら行っちゃお! て気になるんだろうね。 よくよく見ると最後バイバイやってると、ホスト家族らがそそくさ と家に入ったりして、涙ちょうだい雰囲気がまるでない。 ちなみに私くらいの超大物ですらヨーロッパで、3度ほど “あっちへ行け” とシッシッとされていますから。 さて私はどんな武器で将来パリ社会に入っていこうかしらん。 ウサンクサイ書道家として、適当な掛け軸に漢字書いて高く売りつ けてウハウハな生活しよっと。 あとは書いてる自分の魅せ方。 フンドシ姿で書くとか。 |
なぜ私は酒を飲むのか・・・・・。
私の飲酒歴はまだまだ浅く、なにせ本格参戦は29歳の頃だったと 思う。 24歳で店を出すまでは飲みには行かなかった。 25歳からはススキノには顔を出すようになったが、それは踊るた めにクラブなど行っていた。 週に7日は通ってた。 では自慢の酒による大失敗歴をみなさんに紹介する事に。 超ウルトラちゃんぽんして自転車で帰った時の話。 北大のあたりから中央図書館の裏にあった自宅へ真っ直ぐ帰る はずが、 図書館の裏にある公園まで来てホッとしたのであろう、自転車もろ 共てっ転んでしまった。 自宅まであと50Mまで来てたのにもうバランスを維持する体力、 気力がリミッターを超えたのね。 目を覚ますと目の前には、芝が池の中で横になって生えている。 しかも私はシャワーを浴びている。 確かにおかしい。 (なんとか想像していただきたい) 私はただ今の状況を知りたいのだ。 するといきなり寒気が。 ここで状況を把握した。 私は寝ているのだ。 そして台風だ。 台風がやってきてスコールのように私を数時間浴びせているのだから ずぶ濡れになっていて当たりまえ。 だから“芝が池の中で横になって生えている”のだ。 良くぞ体温を死に至まで下がりきらなかったものだ。 人間の体は優れている。 死にそうになる前にちゃんと体にシグナルを送ってくれるのだ。 だから目を覚ます。 理性はちゃんと残っている。 「おにいちゃん、大丈夫かい? ずぶ濡れでドロだらけじゃないの」 近所のおばちゃんに声をかけられる。 朝6時になっていた。それまで誰も通らなかったのか。 通ったけど関わりたくなくて声をかけなかったのか。 予想するに3,4時間そこで眠っていたのであろう。 |
最近自転車で通勤していますが、雨の日はバス&地下鉄です。
久しぶりに地下鉄に乗ったら、あらっビックリ。 車両の端と端で遠かったのですが、高校生男子がカップヌードルを 床であぐらをかいて食べているではないですか。 私の視力は2.0ですので間違いない。 さすがの私も日本は終わったなと思いました。 さすがにそこまで行って注意する気にはなれなかった。 少年はただ注目されたい一心でやったことなのか。 あたしゃー、日本の未来が心配になってきちゃった。 いろんな人がいろんなもの踏みつけている靴で乗ってくるの。 トイレでオシッコを踏んでいるかもしれない。 路上で色んな虫の卵を踏みつけているかもしれない。 そんな床に腰を下ろして、ズズズーっと、カップヌードルですか? そしてそのズボンで家に帰ったらベットの上に腰掛けるんだ。 寝てたら卵が成虫になって口や耳、鼻の穴に入って体内で寄生するぞ! 食事時の方、すいません。 おやっ、今度はとなりのお姉さん、カバンから何か取り出すますね。 ありゃーなんと手作り弁当ではないですか。 蓋を開けていまいましたね。 いい香りがプ~ン・・・・そんなわけないでしょう。 プッチーン。 「お前ら臭いって! お願いだから1度くらい死んでみなさい!」 安倍総理、美しい日本はまずは地下鉄の車内から。いかがですか? |
私は寒がりではない。
冬になれば寝室なんぞ8℃くらいにしているくらいだ。 今のマンションに引っ越してから5年過ぎているが、いまだに 一度足りとストーブをつけたことはない。 決して節約しているわけではない。 その方が乾燥しないで過ごしやすいからだ。 休日にヒマラヤ倶楽部という食堂に入ってみた。 入り口は引き戸で開いていたが一応閉めて入った。 私以外には、4人組の外人がいて全員半袖姿でワイワイやっていた。 すると一人の外人が私に、 「開けておいていいかい? 暑いんだよ」 『俺もその方がいい。そうしてくれ』 と。その後日本人の寒がり&過保護について喋った。 体内温度の違いか。 日本人は便利に贅沢に慣れすぎてすっかり過保護になってしまった。 きっと体温調整なんぞ高等術になってしまったことであろう。 話していると、女将がスタスタ入り口に向かい閉めてしまった。 「プリーズ!」 『たのむって!』 同時に女将に訴えた。 |
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