昨晩のジイちゃんは歌っていた。
地下鉄車内で酔っ払って歌っていた。 民謡だ。 わたくしの向かいの席で目を閉じていたが、あまりにも気持イイ声だったのでその声の主を確かめたくなった。 顔はその昔、ロッキード事件で登場する政商“小佐野賢治”にソックリだ。 幸せを運んでくれそうな顔をしている。 びっちり乗客がいるので当然小佐野ジイちゃんの隣にも、振り回した後の弁当箱の中のようにひしめき合って若い女性が友達と座っている。 初め爺ちゃんの歌に怪訝そうに見ているので、きっと席を立つのだろう思いきや、駅ごとに徐々に乗客が減って座席スペースもタップリ空いているのにまだ まだ、まーだベッタリふっつきながら座っている。 きっとジイちゃんの歌声が気持良くなってきたんだろうか・・・・。 ジジイフェチか。 わたくしには子守唄のように心地よかった。 しかしジイちゃん、その歌いぷっり、たまんないね。 また聴かせてくださいな。 そう言えば、最近のわたくしは公衆パフォーマンスを封印していたような。 ススキノ交差点で“マサイ族ダンス” 円山裏参道で“ストリーキング” Barでの“ストリップ” 等等。 サルバトーレの復活はあるのか! |
あったまにきた!
今朝のバス、あったまにきた! 60歳くらいの気の小さいオジサン。 携帯が鳴った。 電話だ。 あっ、でてしまった。 話しはじめた。 乗客みんなふり返ってオヤジを睨みつけている。 わたくしの近くにいたので、 「車内の携帯やめたらいかがですか?」 と耳元で囁いた。 『ハイ、わかりましたハイ。』 と言いながらまだ喋る、喋る。 「オイ、いい加減にしろよ。迷惑してんだろ!」 『ハ・・ハイ、ハイ、ハイ、ハイ、ただいま』 頭は下げまくっているがまだ切らない。 真駒内駅まで来てやっと切った。 「オジサン、どう言うつもり? アンタ、バカにしてるの?」 『そんなつもりじゃ・・・・』 ここで周りの群集が一緒になって、あーだ、こーだ言い始める。 「皆さんも睨むんだったら声をだして、ヤメロー!言いなさいって!」 もー、イヤだ! 世界中から携帯が無くなくなってしまえー!!! |
ヒルマン監督がメジャーのロイヤルズの監督に。
日本シリーズ4日前のこと。 日本人の心情としては、 オイオイオイ、結局自分の事が大切なんだなとなるわけでして、日本人として複雑な心境になるわね。 そこには日本人特有の“わびさび”からは遠く離れている。 今はシリーズ前だから専念して、契約は日本シリーズ後でいいだろうと声を上げないと。 これが逆の立場だったらアメリカ人はなんて言うのだろうな。 アメリカ文化、制度が日本にも蔓延され、理解する日本人も多数でてきている。 なにもかもアメリカ化されていく日本。 それでいいのかよ、と思ってしまう。 声を上げようぞ! どう考えても日本人に個人主義は合いまへんて。 群民族なんだから。 周りと一緒じゃないと不安で不安で仕方ない人種なんだから。 隣の晩御飯が気になるんだから。 もうやめようよ、アメリカ化されるのは。 昔は日本人は凄かったと思うよ。 初めて白人と戦ったのだから。 あくまでも主権国家としてお互いの主義主張し合い、認め合わないと。 わたくしはね、海外で日本人旅行者がナメられている姿を見るのが忍びなくて。 年間どれだけの日本人が騙され、ボッたくられ、盗まれているか。 それを路上に並べられ売られているのだ。 精神構造までアメリカに侵されてはならない。 ヒルマンが北海道にある日本ハムを2年連続優勝をもたらした。 多額のギャラで監督と契約した。 プロの監督だから当たり前のことをしたのさ。 彼にとってスキルアップ材料にすぎない。 だから、リップサービスとはいえ、 「すでに心はロイヤルブルーに染まっている」 となるわけです。 ヒルマンが悪いと言っているわけではない。 アメリカに何もかも主導でいいのか、と言っているわけです。 もういいですから、アメリカ。 |
さあー、3つ目の話です。
今日夕方チャンネルを回すとNHK教育テレビで子供番組がやっていた。 出演している小学生達を見ていると感じることがある。 つまらないのだ。 子供っぽさがまるでないのだ。 彼らの表情を見ていると今時の高校生?いやいや大学生みたいなのだ。 好奇心いっぱいの子供特有の目をしていない。 思うに、情報が氾濫している現在社会で言葉はたくさん知っている。 知れば知るほど感性が全然育たないのだ。 好奇心がどこかにいってしまう。 子供は時代の象徴。 そんな想像力の乏しい子供が大人になったらどんな社会になってしまうかとっても不安になる。 NHKもその辺を考えて番組を作りなさいって。 すばらしい番組があったではないか。 「できるかな」 そう、ノッポさんですよ。 一言も喋らずストーリーが進んでいく。 こんなドキドキした番組はなかった。 子供の想像力を高めるにはこんな番組が増えればいいのだ。 言葉は感性を育てない。 ボディーランゲージだけで会話はできるのだ。 わたくしは実証している。 |
朝早くから起きて行ってきましたよ、手稲の公安委員会へ。
そうですよ、免停の講習ですよ。 イヤー、慣れたもんですよ。 あそに行くといつも思うことが。 (思い切り自分の事を棚に上げてと言ってくださって結構です) もう2度とこの講習を受けないようにと公安はいいますが、寝ている受講者をそのままに講習を続けるし、携帯は消すように、時間は厳守するように言っていますがそれを守らずして罰則がない。 そんな人間が違反を改め、交通規則を守るとは思えない。 適性検査の時、係員が早口で問題を読み上げ、“はい・いいえ”に○をつけなければいけない。 これって鉄の塊をスピードを出して走らせる車を操縦するわけですから、瞬時の判断力を見るにはいいと思う。 でも年齢的に全然ついていけない人間にそのまま免許書を与えてよいのだろうか。 老いることが悪いのではなく、老いて判断力がなくなった人間に “鉄の塊”を操縦させることに問題があるのだ。 きっと前方だけ見てただ走らすことで精一杯なはずだ。 そんなこと公安だって分かっているはずだ。 トヨタが偉いのか? 運転適正能力が低いものに免許を奪っては販売台数が減るからか? 通産省はなにをやっているのだ。 それでまたまた悲しい事故がありました、なーんてニュースが流れる。 老いたドライバーだけのことを言っているわけではない。 隣に座った兄ちゃんは、 今度アリストを買って改造してバリバリ飛ばすぞ、みたいな事を近くにいた知人と得意そうに話している。 おかしいって。 そう、こんな風に社会は矛盾だらけなのだ。 人間は悪なのだから強制させなければいけない時はある。 あの講習は強制ではない。 なんだかんだ言ったって、公安も金が必要なんだ。 係員だって天下りがわんさかいるだろうし。 最近、人間社会が訳分からなくなってきた。 偉そうに言うなって? アンタだってその中にいただろうって? わたくしはですね、いつも安全運転ですよ。 たまーに、便をもようしてあわてて右足に力が入ってしまうのだ。 病的に腹が弱いのだ。 |
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